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2007年 02月 10日

私にとってのロンドン 2002年~2006年編(2)


前回のエントリに書いた通り、4年前にロンドンでの勤務がスタートした時の自分のスペックは平凡そのもので何一つ見るべきものはなかったのですが、幸いなことに、その後に社内外のクレディビリティを獲得していく上では非常に恵まれた環境に置かれていました。





まず、会社の上層部が私の意見を尊重してくれました。日本の機関投資家という最重要顧客層のディマンドをバックにしていたので、始めからそれなりの発言権が与えられていたのです(発言権は、後に発言力に昇華)。

次に、担当業務(=専門性)をどんどん水平展開をしていく機会に恵まれました。日本の投資家の期待に応えられるように、通常よりもワンランク上のクォリティとボリュームのアウトプットが求められたので、結果的に横断的にあらゆる業務に顔と口と手を出さざるを得なくなりました。はじめはクライアントサービス的な業務をアサインされていたのですが、徐々に投資判断やオペレーション、ドキュメンテーションまで関与するようになり、縦割りになりがちな組織の中にいたにも拘わらず、知識や経験の幅も飛躍的に広がっていきました。

また、カリスマ経営者のビジョンや仕事振りを身近に学ぶ機会が多かったです。CEO直轄の最重要顧客のリレーションシップを担当させてもらっていたので、彼との二人三脚で仕事をしていく中で、いろいろなことを吸収出来ただけでなく、吸収出来ているということをアピールする機会にも恵まれました。日本だけでなく欧州や北米などで彼が直轄する重要案件も任せてくれたり、営業周りだけでなく投資サイドにもどんどん引き込んでくれたのは、感謝してもしきれません。トップとの阿吽の呼吸で仕事を進められるようになってからは、必然的に、彼の言葉や哲学を社内外で伝えていくという役回りが増えました。

そして、直属の上司にも可愛がってもらえました。CEOと直接やる案件以外は、当然ながら直属の上司と動くことが多かったのですが、彼はとにかく私がローカライズするのにあらゆる手を尽くしてくれました。私をロンドン本社に名実ともに転籍させて“東京オフィスのロンドン出張所”とか所謂“ジャパン・デスク”といった位置づけから解放してくれただけでなく(ある意味では退路を断たれた訳ですが・・・)、ロンドンの中核メンバーの一員として採用活動などを任せてくれた上に、彼ら彼女らを牽引するようなシニアなポジションへとグングン引き上げてくれました。

要するに、私のロンドンでのキャリアというのは、ただただ顧客と上司に育ててもらった4年間でした。



ところで、言葉や文化の違いに戸惑ったのはプライベートの面でも同じでした。情けない話ではありますが、渡英して間もない頃などは、妻に『今、何て言ってたの?』と聞かれた時に『わからない』と認めるのが嫌で、とりあえず『わかったふり』をして、結果的にあとで必要以上の負荷がかかったこともしばしばでした。

また、ロンドン赴任当初の私の給料は今の3分の1くらいしかなかったので(涙)、生活苦とまでは言わないものの、不案内な異邦人が扶養家族を伴って狂乱物価気味のロンドンで生活していく上では決して十分といえる水準ではありませんでした。お金に限ったことではありませんが、どこの国でも中小企業に勤めるということは大企業に比べるとずいぶんと不便なことばかりであることを痛感しました。前職などの伝もあって、せっかくロンドンに何人も日本人の知人がいたにも拘わらず、家探しに始まって医療や休暇の過ごし方などなど、周囲の至れり尽くせりの駐在員の方々のお話はあまり参考にならないことも少なくありませんでした。私には、『ここで実力をつけて認めてもらえれば、必ずすぐに楽になれる』と歯を食いしばって頑張る理由があったものの、妻にはいろいろと苦労をかけたと思います。

そして、来英3年目に妻が妊娠してから出産を経験するまでのプロセスがまたちょっとしたチャレンジだったのですが、この時期を夫婦二人で乗り越えたことで、ようやく自分たちもある程度はローカライズ出来たという気になりました。当地のNHS(国営の病院なので無料なのですが、高額な私立病院に比べると評判の差は歴然)で私以外の家族の応援もない中での初産だったので、妻はずいぶんと心細かったはずです。余談ですが、毎回の診察&出産に立ち会ってところどころ通訳も買って出たお陰で、私も産婦人科系の英単語にはずいぶんと詳しくなりました(笑)。
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by th4844 | 2007-02-10 02:47 | London, UK, Europe


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