2007年 01月 17日

イスタンブール散策日記(2)

年始からのイスタンブール旅行記の後編です。前回分は、妻に言わせると『ガイドブックみたい』というトーンでしたが、今回はもうちょっと一人称的な文章になりました。興奮するとついつい大袈裟になってしまう癖がありますが、さらっと読み流して頂ければと思います。




ビザンチン時代の城壁

文明の十字路とも言われる激戦区にあって絶えず外敵からのプレッシャーに晒されながらも、結局コンスタンティノープルが千年以上もの間生き永らえることが出来たのは、やはり何と言っても今から1500年も前にテオドシウス帝が築いた難攻不落の“三重の城壁”に拠るところが大きかったようです。

かつてのローマ帝国では数十万の軍勢が常時動員可能だったと言われていますし、5世紀に西ローマ帝国が滅びた後にローマに代わってキリスト教世界の政治・経済・宗教の中心となった(『世界の富の3分の2が集まる町』と讃えられたとか・・・)コンスタンティノープルの人口は、最盛期には30万人以上を優に超えていました。

それが、先日のエントリでも書いたようにビザンチンのギリシア人の内向的・哲学的な性格も災いしてか、その後東ローマ帝国はいろんな意味で伸び悩み、13世紀以降は周辺のイタリア(ヴェネチア、ジェノヴァ)やイスラム世界(オスマントルコ)に大きく遅れを取ることになって、ゆっくりとしかし着実に衰退の一途を辿ります。

1453年にオスマントルコのマホメット2世率いるオスマントルコの10万の大軍に包囲された時、コンスタンティノープルの人口は5万人まで減少しており、うち守備兵(商人などを含む成年男子)は僅か5,000人だったといいます。これにイタリアなどからの義勇軍や傭兵2,000人を加えた7,000人でトルコ勢との篭城戦を戦ったわけですが、皮肉なことに最盛期に築かれた全長25キロという壮大な城壁は7,000人で守るには聊か長すぎたようで(単純計算でも1人あたり3キロ以上!)、2ヶ月の抗戦も空しく、結局陸海両面からのオスマントルコの凄まじい物量作戦の前に防御戦は破られてしまいます。

d0011980_5424331.jpg衰退期のコンスタンティノープルには文字通り“無用の長物”ともいえる存在となってしまっていた城壁ですが、とはいえ、やはりこれを初めて包囲した時のマホメット2世にとっては、相当な難関に映ったに違いありません。塩野七生さんは『コンスタンティノープルの陥落』の中で、マホメット2世の側近の小姓に『これほどの城壁が、おちるなんてことがあってよいものか!』という台詞を吐かせています。完全な形ではないものの、このテオドシウスの城壁はまだ現存しているというので、私は旧市街の中心から路面電車に揺られてこの城壁を見に行ってみました。城壁の外側は公園というか緑地のようになっていて、その向こうにはだだっ広く空き地が広がっています。逆の視点から考えると、それまでずっとだだっ広い平野が続いていたのに、忽然と高さ25メートルもの巨大な城壁が姿を現し、そしてその城壁は左も右も視界の続く限り、延々とそびえ立っているという感じです。当時はこの壁が三枚あり、間には堀もあったそうですから、何万人もの兵士でぐるりと周囲を囲んだところで、どうやってこれを乗り越えるかということは難題だったに違いありませんが、千年以上も帝都を守り続けたその城壁も歴史の荒波には抗うことは出来ず、遂には破られてしまったわけです。

私がここへ足を運んだのは、ちょうど太陽が沈んで西以外の空が暗くなり始めた夕暮れ時だったのですが、イスタンブールという街には、いや、コンスタンティノープルという在りし日の都に思いを致す時には、何だか夕暮れがよく似合うように思われました。ふと我に返ると、傍らでは凍え気味の妻と子供の目が『もうそろそろホテルに戻ろうよ』と私に訴えていました・・・。



アジアサイド→ヨーロッパサイド

こういった定番の名所旧跡巡りの他、私がイスタンブールでどうしてもやりたかったことの1つが、市内のアジアサイドとヨーロッパサイドの間を結ぶフェリーに乗船することでした。今回、念願が叶って晴れた日の午前中にアジアサイドのハレムという船着場からヨーロッパサイドのエミノニュの埠頭まで、甲板で地元のオヤジや若者達に混ざって冷たい潮風を受けながら洋上に旧市街のモスク群を望んでいると、なんだか感無量という境地に達しました。アヤソフィア、ブルーモスク、トプカプ宮殿というイスタンブールの三大名所はいずれも隣接していて、海上からもよく見える位置にあるのです。

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かつて『深夜特急』で、沢木耕太郎氏はこの15分程度のフェリーの旅を『5リラ50クルシュの優雅な航海』と書いていましたが(当時の貨幣価値で100円くらいでしょうか?)、まさにそんなちょっと得した気分になれるささやかな贅沢を楽しむことが出来ました。トルコに着くまであまり意識していなかったのですが、思えばイスタンブールに行ってみたいという私の長年の願いは、元はと言えばこの沢木氏の作品によって煽られたものだったのです。

また、好景気を反映してか、ボスポラス海峡の洋上はかなりの数の大型の貨物船やタンカーでひしめきあっていたため、あたかも海の上にビルが立ち並んでいるかのような錯覚すら覚えました。迫り来るオスマントルコの大型船団を目にした15世紀当時のコンスタンティノープルの人々にとっては、それらがまるで海上に出現した無数の塔のように見えた、という話を思い出しました。



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それにしても、うちの長男はここトルコでも大人気で(笑)、至るところで道行くトルコの髭おじさん達が歩みを止めて彼に近寄ってきては、髪を撫で、手を握り、額に接吻して満面の笑みで立ち去っていくのでした・・・。残念ながら、お姉さん達のリアクションは普通でしたが。
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by th4844 | 2007-01-17 06:34 | London, UK, Europe


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