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2007年 01月 01日

コンスタンティノープルの陥落


『th4844って、なんか“衰亡史”好きだよね~(笑)』と、いつだったか妻に指摘されたことがありましたが、言われてみると確かに私の本棚には、歴史物、それも大英帝国衰亡史ローマ帝国衰亡史といった“衰亡史”というタイトルが目立ちます。こういう書物に惹かれる理由というのは、いくらでも挙げられるかと思いますが、私の場合には2つほどあります。



まず、“衰亡史”をじっくりと時間をかけて紐解くことは、『あれほどの栄華を誇ったのに、なぜか滅びてしまった』という一見すると謎めいたストーリーが、実は成功の中にこそ滅亡の火種が潜んでいる、すなわち『栄華を誇ったからこそ、滅びる』という真理があるということに気付かせてくれます。普段の私は、今日の自分は昨日よりも成長しているべきであり、未来は現在よりも素晴らしい時代であるべきという、若者らしい(?)極めて直線的な人生観や歴史観を前提として物事を考えがちなのですが、実際の人生や歴史においては、己の力ではどうすることも出来ないような、もっと大きな力や、長い時間軸で動く力(あるいは“流れ”とでも言うべきでしょうか?)が作用しているものです。私の日々の思考パターンの中でついつい欠落しがちなこうした“盛者必衰の理”をリマインドするには、やはり日常を離れて読書に耽るのが一番です。また、“衰亡史”には往々にして、誰の目にも滅亡は必至という最期の段階になっても、まるでしんがりを務めるかのように凛とした存在感のある悲劇のヒーローが登場します。こういう極めて困難な立場にある人物に感情移入して本を読んでいると、自分が如何に小さな人間であるかがよくわかります。目先の損得を超越して、運命・天命を受け入れて使命を立派に全うしていく神懸り的な人物のストーリーには、素直に心を打たれます。

そんな私が最近読んだ衰亡の歴史は、こちらです。地中海世界の中心として1,000年以上もの栄華を誇った東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)が、新興のオスマントルコに滅ぼされてゆくその最後の月日の絶望的な攻防を辿った物語なのですが、久々に塩野七生さんの作品を手にとってみました。

『人類の歴史において、もっとも幸福な時代』とまで言われたローマの栄光も長くは続かず、3世紀に入るとローマ帝国はその拡大し過ぎた版図故に周辺民族の絶え間ざる侵入と内乱によって東西分裂を余儀なくされます。その後、イタリアやスペイン、フランスといった“ラテン人”の西ローマがあっけなく滅ぼされて“西欧”が千年もの暗黒時代を過ごす間、ギリシア人が主体となった東ローマは地中海の盟主として君臨し続けました。そう、東ローマ帝国とは実はギリシア人を主体とした国家だったんですね。私は、ギリシアというと何となくローマ以前の古代史においてのみ輝いていた印象を持っていたのですが、中世になるまで立派に活躍していたとは私にとっては発見でした。

本書において、塩野さんはコンスタンティノープルの高僧に、こんなことを語らせています。

ビザンチン文明とは、滅んだ古代ギリシア文明とローマ文明から吸収したすべての要素と、オリエントから受けた影響の総和を、さらに上回る何物かなのだ。それはそれ自身でひとつの完全体なのであって、単にさまざまな文明の要素の、色とりどりな混合から出来た合成体ではない。東ローマ帝国とは、ある意味で誤った名称だ。なぜなら、330年にコンスタンティヌス大帝がローマ世界の首都を、ローマからビザンチウムに移した時、彼がそこに創建したものは、さまざまな難問と取り組むやり方と、それが引き起こす反響において、また、建築や法律や文学において、まったく独自なひとつの精神的な帝国だったからである。古代ギリシアの影響を受け、古代ローマ世界を母胎とする西欧の人々が、ビザンチン帝国とそこに住む人々を不可解と思い無意識に嫌うのも、理由が無いわけではない。われわれビザンチンのギリシア人は、純粋に西欧人ではないのだからね。
ビザンチン帝国の宿命的な創建から今日までの千百年の間、ギリシアはアジアとヨーロッパとアフリカにまたがった巨大な蛸の一部分だった。そして、西ローマの滅亡後、西欧が暗黒の時代を通過しつつあった頃、コンスタンティノープルはその異国風の花を咲き誇らせ、彼らの思考方式にあった新しい文明を築き上げていたのだ。地中海世界の長子としてのその気質は、実際的なことよりも、宗教と芸術の精神にとくに著しく発揮された。そして、その政治上の特色も、けっして分離することの無い、また事実上分離し得ない、教会と国家、宗教と政治との統一態を守る信念にあったのだ。これが、ギリシア正教会の基本的な制度と指導理念に結実する。
一方西欧はしばらく前から、それはおそらく長い混迷の時期を過ごしたからだろうが、教会と国家を分離可能な限りに分離する考えに達したようである。イタリアの各都市国家の繁栄はその果実だ。だが、ビザンチンの人間にとっては、西欧では実現したかもしれないが、教会と国家の分離などとうてい受け入れられることではない。ビザンチンの人々にすれば、宗教と政治の完全な一体化を前提としない政治理念など、考えられもしないのだから。


実に興味深い視点ですね。私が本書でもっとも感銘を受けた部分でもあります。最後の一節では、さらりと東ローマを滅亡に至らしめたギリシア人の頑迷さにも言及しています。15世紀になると、政治・経済ともにすっかり硬直していた上にイスラム勢力の台頭によって東ローマの力の衰えが明らかになる一方で、商業主義・合理主義を前面に押し出したヴェネチアやジェノヴァといったイタリアの新興都市国家が勢力を強めていました。ところが、東ローマのギリシア人の多くは、自分たちの魂の拠り所を捨ててまで西欧世界(ここではイタリアを指す)のような合理化を進めるよりは、滅びの美学を選んだ方がましだと考えていたということですね。彼らは、オスマントルコに絶体絶命のところまで追い詰められてから漸くローマ法王やヴェネチアに頭を垂れて助けを求めるものの、全てが後手に回ってしまったが故に、結局は当初望んだ通りに玉砕してしまったわけですが・・・。

滅びるべくして滅んでいった東ローマですが、その衰亡の歴史の最終章となったコンスタンティノープルの篭城戦は後世まで語り継がれるドラマとなっていて、かく言う私も小学生の頃に『まんが世界の歴史』で読んだことを今でも鮮明に覚えています。塩野さんも、オスマントルコを率いる21歳のマホメッド2世(メフメト2世)と東ローマ最後の皇帝となったコンスタンティヌス11世という極めて対照的で魅力的な人物を中心に据えて、この攻防の日々を実に生き生きと描いています。決して読みやすいとは言えない彼女の文章がこれほどまでに売れているのは、それぞれの作品が丹念な調査に裏打ちされているというだけでなく、やはり彼女が一人ひとりの登場人物を、実に深い愛情をもって丁寧に描いているからこそではないかと思います。そういう意味で、本書も実に塩野さんらしい作品で、物語の中に気持ち良くぐんぐん引き込まれているうちに、一気に読み終えてしまいました。

難攻不落、地中海世界で最も堅牢と讃えられたコンスタンティノープルを1,000年にも亘って守り続けた三重の城壁、ギリシア正教の総本山として長らく“世界の中心”であった後、マホメッド2世その人によってモスクに改造された聖ソフィア寺院(アヤソフィア)、同じくマホメッド2世が建てさせたトプカプ宮殿、ジェノヴァ人居留区であったガラタ地区から金角湾越しに眺める旧市街の全景等々。前置きがすごーく長くなりましたが、自分で決めた課題図書も無事に読み終えたので、年始から4日間ほどイスタンブールの歴史散歩に出掛けてまいります!
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by th4844 | 2007-01-01 08:50 | London, UK, Europe


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