2006年 05月 30日

ソムリエという生き方


しばらくヘッジファンドの話が続きましたので、今日は少し趣向を変えて、熱田さんというソムリエの方についてのお話をご紹介させて頂きたいと思います。




熱田さんは、太平洋戦争の最中に千葉県の農家の三男としてお生まれになりました。小さい頃から海外に憧れていたので、高校卒業後に日之出汽船という商船会社のスチュワードになります。1957年のことでした。研修終了後の初めての航海は南米航路。数ヶ月の航海の間、睡眠時間も2-3時間で朝から晩まで徹底的に先輩船員達にこき使われてうんざりしたものの、目的地だったチリの港町に到着すると、怖かった先輩が手の平を返したように『しごきに耐えてよく頑張ったな』と小さなレストランに連れて行ってくれたそうです。そこでステーキとともに生まれて初めて味わった赤ワインの味にそれはそれは感動したといいます。

その後、しばらくは船の上で人をもてなすという仕事に熱中しつつ、世界の港でワインについての見聞を広めますが、やがて航空業界が伸び始めてそろそろ船の時代も終わりを告げようかという頃になると、勤務先の船会社も相次ぐリストラによって雰囲気が悪くなってきました。そこで思い切ってホテル業界に転進を決意します。東京オリンピックを控えて新設されたYMCAの国際ホテル学校に通った後、熱田さんは当時最新・最大のホテルだったニューオータニに職を得て、バーテン、後にソムリエになります。オリンピックを機に日本に来る外国人が増えたこともあって、にわかに東京にワインブームが起こります。日々がむしゃらにお酒の勉強をしたものの、まだまだ知識不足を痛感していたようですが、そんなある日、ワインにかなり詳しい外人のお客さんに、『○○はあるか、△△は知っているか』などと訊かれ、ことごとく『おいていません』『知りません』と答えていると、ひとつひとつ丁寧に銘柄の特徴などを教えてくれ、最後に思いがけず『私のところに勉強に来ないか?』と誘われます。このお客さんはボルドーのシャトーのオーナーだったのです。

渡りに舟とばかりに、熱田さんはあっさりとニューオータニを1年間休職して、一路ボルドーを目指すことになりました。『世界にはいろいろなワインがある。うちに来る前に少し寄り道して、欧州のワインをいろいろ味わってきなさい』というオーナー氏のアドバイスにしたがって、まずはオーストリアへ。ほんの数日間の滞在のはずが、ひょんなことからウィーンでワインに携わるいろいろな人との出会いがあり、柔道教室の講師などを務めながらワイナリーに出入りしていると、あっという間に1年が経過してしまいました。そこから、さらにドイツ、パリにも寄り道したので、結局日本を発って1年半後にようやくボルドーのサンテミリオンのシャトーに到着します。

ボルドーでは、オーナーに可愛がられてとにかくいろいろなワインを飲んだり育てたりして勉強したそうです。オーナーに促されて、スコットランドにスコッチの勉強にも行きます。ニューオータニの退職手続をとって、結局ボルドーには1年半滞在したそうですが、『ワインは一握りの金持ちが独占するものじゃなくて、もっとたくさんの人に親しまれるべきもの。ここでしっかり勉強してたくさんの日本人にワインの素晴らしさを広めてくれればそれでいい』という好意で、ボルドーに滞在中の費用は全てシャトーが負担してくれたとか。

帰国後はニューオータニに復職し、シェフ(=チーフ)ソムリエとなります。3年間の欧州修行で培った知識やネットワークを駆使して頭角を現し、海外滞在中に親しんだオーストリアやドイツ、そしてボルドーのワイナリーのワインを軒並みホテルのレストランで本格的に扱ったりした他、日本におけるワインの、そしてソムリエの認知を高めるべく、メディアを通じた宣伝にも積極的に取り組みました。日本で初めてボージョレ・ヌーボーを味合うイベントを企画したりしたのもその一つです。そして程なく、バブル期の高級ワインブームに乗っかる形で、ニューオータニが400年の歴史を誇るパリの三ツ星レストラントゥールダルジャン初の海外支店の誘致に成功すると、熱田さんはニューオータニ内に開店するそのトゥールダルジャン東京店のシェフソムリエに任命され、ますます日本のワイン界の中心で活躍されるようになったのです。



後から振り返ると、プロのソムリエとして非常に素晴らしいキャリアなのですが、そもそも60-70年代の日本にはワインのスペシャリストなどというキャリアパスはほとんど存在しなかったのに等しかったわけですから、決して王道を歩んでいたという訳ではないですよね。船を降りて、未知のホテル業界に飛び込んだこと。欧州行きのために、恵まれた環境のニューオータニを休職したこと。せっかく招待してくれたシャトーに直行せずに1年半も寄り道したこと。ニューオータニを退職してまで、欧州に3年も滞在したこと。何度もリスクの高い思い切った決断をしています。これらの選択がそれぞれその時点で周囲の人たちにどう受け止められたのか、非常に興味深いところですが、恐らくは変人扱いに近かったのではないでしょうか。この方の半生を辿ってみると、やはりキャリアの選択に目先の損得勘定などあまり意味が無いし、そもそもそこに正解や模範解答など存在しないのではないかという思いが強まります。その時代に常識だと思われている発想に囚われることなく、自分が『これは自分のためになる!』『オレはこれが好きなんだ!』と直感出来るものに出会った時に躊躇無く舵を切れることが大切で、そういうことが出来る人だからこそ、人と違うレベルにたどり着けるんだろうと思うのです。



ちなみに、その後熱田さんは栄えあるトゥールダルジャンのシェフソムリエの地位を実にあっさりと捨ててしまいました。それにはこんなエピソードがあります。


トゥールダルジャンでバブリーなお客さんに囲まれながら
毎日一本何万円もするワインをポンポン抜いていた
ソムリエとしての絶頂期のある日、
熱田さんはボルドーのあのシャトーのオーナーの訃報に接します。

取るものも取りあえずフランスに飛んで葬儀にかけつけると、
未亡人となられたオーナーの奥様から
『あの人は最後まであなたのことを心配していたんですよ』
と言われたそうです。

少し驚いた熱田さんは、
『え?ご主人は私のことを何とおっしゃっていたんですか?』
と尋ねました。


その奥様はこう答えたそうです。



『あの人はいつもあなたのことを気にしてましたよ。
 「あいつはまだ高いワインを売っているのか」ってね。』



これを聞いた熱田さんは、涙が溢れ出て止まりませんでした。


そして東京に戻るや否や、多くの人が引き止めるのも意に介せず、
トゥールダルジャンをすぐに辞めました。

かつて、ボルドーのシャトーのオーナーに授けられた
『1人でも多くの人に気軽にワインを楽しんでもらう』
というミッションを実現出来るような、庶民のための
小さなレストランを開業することに決めたのです。


ただ、これがこの方の面白いところなのですが、退職してからレストランを開業するまでの間に熱田さんはまた寄り道をします。1年間、欧州を中心に世界を旅して回り、そのお陰でせっかくもらった退職金もほとんど使い果たしてしまい、結局は奥様の実家にお願いして開店資金を工面してもらわざるを得なくなってしまったそうです。

行き当たりばったりの気ままな旅、気ままな人生を楽しんでいるようにも見えてしまいますが、どうやらこの方の寄り道は“確信犯”というか、充電期間の有効性を本能的に理解出来ているからこそ、意図的にそういう時期を確保しているようです。『旅することが大事だ。短期の旅行ではなく、長期の旅が』という言葉も、この方の来た道筋に思いを致してみるとなかなかに含蓄があります。『どこにどんな人がいて、どこにどんな食材があるかを調べるだけなら、人づてだったり本で読んだりすればわかるから、わざわざ旅をする必要は無い』と熱田さんは考えています。どこにどんな人がいてどこにどんな食材があり、そしてそれはどういう風土や文化を背景にしてそこにあるのか。そういういろいろな要因の有機的な結合を肌で感じ、そうした包括的なコンテクストまで理解した上で、与えられた環境(ロケーション・季節・価格設定等)で自身が提供出来る最高のものが何なのかを探っていく必要があると考えていて、そのためには店を開く前に、ゆっくり旅をする必要があったと言っています。若い頃の3年間の欧州生活もそうでしょうが、この方にとって、旅は遊びではないんですね。何かを成し遂げるには、新しいことを始めるには、いつもそういう土台の部分から準備しようとする。そういう意味で旅が不可欠だと思っているようです。また、この方の人生の岐路には至るところで運命的な出会いがあるわけですが、それも偶発的なものではないように思えてきます。普通の人なら気付かなかったり深追いしなかったりするようなチャンスを逃がさないのは勿論、そういうチャンスのありそうな方向へと嗅覚を頼りにためらうことなく突き進める強さがありそうです。明確なゴールセッティング、そこへと向かう意思の強さですね。



実は、先日東京で、とある方にこの熱田さんのレストランに連れて行って頂いたのですが、フレンチにありがちな仰々しさなどは微塵もなく、この方のお人柄と同じように、飾らない感じというか実に温かみのあるお店でした。日本ソムリエ協会の名誉会長を務めていらっしゃるような方が手塩にかけて作り上げたお店ですので、料理やワインについてはわざわざ素人の私が書くまでもないでしょうが、もちろん美味しく頂いてきました。


『よしっ!オレも本場ロンドンで学んだことを生かして、近々東京に戻って“ヘッジファンドのソムリエ”として業界の発展の一翼を担い、そして行く行くはヘッジファンドの普及に尽力して1人でも多くの人がアクセス出来るように貢献するぞ!』などと思いを新たにするほど素直ではないのですが、それでも自分の生き方を見つめ直す上でいろいろと示唆に富むお話でした。


参考:『真実はワインの中に―熱田貴のワイン航海日誌』
[PR]

by th4844 | 2006-05-30 14:52 | Career


<< 就業規則強化      あらためまして・・・ ③ヘッジ... >>