2006年 05月 19日
前回のエントリーの続きで、今回は投資家サイド、マネージャーサイド双方からの大量の新規参入によって、ヘッジファンド市場の景色がどう変わってきたのかについて考察してみたいと思います。 ヘッジファンドの世界はまだまだ発展途上なので、あらゆる側面から見て課題は尽きないのですが、ヘッジファンドに投資する側の視点から言うと、やはりここ数年における一番の関心は、何といってもそのパフォーマンスではないでしょうか。一言で言えば、2004年くらいから、ヘッジファンド投資の妙味が大きく低下してきたと言われています。 流入する資金のペースの影響 ヘッジファンド投資に携わる人たちの間では、『ヘッジファンドに投下される資本の急増によってマーケットがすっかり"crowded"となり、裁定機会が激減したために、リターンの実績値・期待値ともに逓減している』というのがほぼ定説で、もはやかつてのような年率20%超のリターンはsustainableで無いという諦めにも似た認識が広がっています(これは、ゴールデンウィークに行楽地が混雑していることを嘆く観光客と同じで、自分のことを棚に上げた議論という感は否めませんが・・・)。また、より具体的な指摘として、いわゆるアルファを生み出すオポチュニティが見出せないためにベータに依存した運用をするファンドも増えている、という指摘も多いようでです。端的にはここ数年のクレジットスプレッドの収縮や、昨年の日本株のラリーといったところにベットしてきたマネージャーなどが該当することになるでしょうか。ベータから収益を生むこと自体は決して悪いことではないのですが、一般にベータへのエクスポージャーというのは非常に安価なので(例えばETFならほぼコストゼロ)、高額な報酬を受け取ったヘッジファンドがベータでしかリターンを生み出せないとなると、やはり投資家としては遣り切れないものがあります。 一方で、急激な資金流入の影響と言えば、『最近はブームに便乗してどこの馬の骨ともわからない輩までがヘッジファンドを始めているから三流ファンドが増えた、だから良いファンドは依然として素晴らしい成績を残しているが三流の奴等が業界の平均値を下げているんだ』という声も聞こえてきます。玉石混交というわけですね。 恐らくは、どちらの説も正しくて、全体的なリターンの水準は低下しつつあるし、しかも良いファンドと平凡なファンドの格差というのも広がってきているのではないか、というのが現場の感覚です。 流入する資金の性格の影響 戦略やマネージャーによってかなりの差はありますが、それでもぐーんと引いた位置からユニバースの全体像を眺めてみると、リターンのみならず、多くのヘッジファンドのリスク(ボラティリティ)も大きく低下しているように見えます。平たく言えば、あんまり儲からなくなった反面、あんまり損もしなくなったということです。一般に、『急激な資金流入がリスク・リターンの低下を促した』と言われていますが、最近の運用成績の変質を考える上では、流入したお金の量やペースも然ることながら、そうしたお金の性格というのもポイントだと思われます。要するにヘッジファンド投資の主体が誰なのかという話なのですが、前述の通り、かつてこの世界にアクセスしていたのは個人富裕層が中心でした。ところが、ここ4-5年の間に機関投資家からの投資が急増したため、ヘッジファンド投資の担い手は個人から機関投資家へとすっかり主役が交代してしまったのです。かような投資家層の変化が、ボディーブローのようにじわじわとヘッジファンドに低リスク運用を促すようになったように思われます。 個人であっても機関投資家であっても、なるべく高いリターンが欲しいというのは同じです。ところが機関投資家の場合は、自分のお金ではなく預金者や保険・年金加入者や株主の資金を運用しているエージェントという立場にあるので、こうしたプリンシパルに対する受託者責任というものを負っています。平たく言えば、他人様のお金を預かる者はきちんとまともな運用をすべしという御題目なのですが、こういう考え方を叩き込まれた人たちの間で“結果に対する責任”と同じか、或いはそれ以上に強く意識されているのが“説明責任”です。運用成績が思うように伸びないのは仕方ないにしても、せめて『そもそも何を、どうしてやろうとしたのか』というプロセスについて釈明出来ないようでは、プロとして失格であるという、至極真っ当な考え方です。 そもそもヘッジファンドというのは、一旦投資したら初めの1年間は解約出来なかったり、その後も年に数回の指定された日にしか解約が出来なかったり、解約手続を開始してから実際に資金が手許に帰ってくるまでに数ヶ月を要したりと、非常に流動性が低いのですが、要するにこれは伝統的に中長期の投資を前提とした作りになっています。ところが、後からそこに『常に説明出来るようにしておく』という強力なマインドセットを持った機関投資家が入ってきました。機関投資家の求める情報開示の量や頻度は、従来のヘッジファンド業界の慣行とはまるで異なる水準です。『昨年のマーケットは~』とか『第1四半期の成績は~』といった時間軸ではなく、『今週の』とか場合によっては『今日の』動きに対しても、逐一報告することが求められるのです。投資哲学とか規律といった立派な看板を掲げているヘッジファンドでも、所詮は人間です。あまりにもごちゃごちゃうるさく言われていると、意識していようがいまいが、次第に無難な運用をするようになる人が出てきても不思議ではありません。ヘッジファンドと言えども、顧客である最終投資家の顔色を見ながら投資しているのです。機関投資家が過半を占めるようになった今日のヘッジファンド市場では、『オレ達に5年や10年くらいカネを預けてくれれば、最終的には絶対に凄いパフォーマンスを上げてみせる。だから、キミ達は単月のリターンに一喜一憂したりするのはやめて、黙って南国のビーチで寝転んでゆっくりしててくれ。』というようなスタンスを持った90年代型の古いタイプのヘッジファンドはもうすっかり少数派です。顧客層の変化に合わせる形で、『解約しやすく』『レポートもきっちりしていて』『組織として見た目もしっかりしていて』『運用戦略も判り易く』『リスク管理が厳格で想定外の損失も出にくい』、しかし『リターンの上限も常識的な範囲にとどまっている』という無難なヘッジファンドが増えているのです。 どんな機関投資家でも、ターゲット・ボラティリティなどの目標値は持ち合わせているものですが、そういった名目上の数値とは別に、彼等の心理的なリスク許容度というのは個人富裕層のそれと比べると格段に低いものです。それに、機関投資家に対してあらゆることについてtransparentでなければならないとなると、ヘッジファンド側には良い意味での『遊び』も無くなります。リスク許容度が下がれば、その結果として運用成績も落ち着いてくるというのは、冷静に考えれば当然のことです。何も、昔のワイルドなタイプのヘッジファンドの方が良かったと言いたいのではありません。むしろ、institution-friendlyな、保守的なセットアップのヘッジファンドが増えることによって、かつては地雷原のようだったこのマーケットがだんだんと歩きやすくなってきたということは決して悪いことではありませんし、恐らくは私のような人間のキャリアの延命にも寄与してくれていることでしょう。ただし、リターンと広い意味でのリスクの間にはトレードオフが存在していることを再認識することは重要です。昔日の驚異的なリターンは、投資家の知らないところでヘッジファンドマネージャーが実にいろいろなリスクを取っていたことの裏返しであったということです。 ヘッジファンドの投資対象の拡大と縮小 さて、最近のヘッジファンドの投資対象についてはどうなっているのでしょうか。特にアービトラージ系の戦略を母体としたマネージャーの場合に顕著なのですが、今も昔も数千億円~数兆円規模の超大型ヘッジファンドは、単一の投資戦略に特化するのではなく、マルチストラテジー化する傾向があります。といっても、あらゆる戦略に精通する全知全能のトレーダーが居る訳ではなくて、大抵は何人か副官クラスのスタートレーダーを配置して、彼等に株式ロングショートやイベントドリブンといった特定の分野に特化したミニヘッジファンドとも言うべきユニットの運営を任せています。いわばヘッジファンドの社内マルチマネージャー化、または社内ファンド・オブ・ファンズ化ともいえます。 他方で、最近ローンチされているヘッジファンドの中には、実に先進的というかユニークな分野を投資対象としたものも散見されます。アクティビスト系のファンド、CDOやバンクローンは言うに及ばず中堅サイズの企業に直接貸出をするファンド、ABCDS(ABSのCDS)やABX(ABCDSのインデックス)をヘッジに活用してABSのロング・ショートをするファンド、生保契約の買取をするファンド、カタストロフィー・ボンド(地震や台風といった災害保険を裏づけとした債券)の引受をするファンド、電力と天然ガスの先物のアービトラージをするファンド、南米の輸出企業にファクタリング(輸出債権の買取)を提供するファンドといった、少し前までは見られなかった分野においてもヘッジファンドが出現しています。 マルチストラテジー化とニッチ化。一見すると二つの相反するトレンドがあるように見えますが、少し落ち着いて眺めてみると両者は別のトレンドではないことに気付きます。即ち、ヘッジファンドの創業時には、すでに過当競争気味なフィールドに無理に飛び込むよりは、競争優位のあるニッチな分野に特化する。しかし、ファンドの規模がある程度まで成長すると、自身の図体がニッチなマーケットで俊敏に動き続けるには大きく成り過ぎることと、ファンド経営の観点から収益源の分散という安定志向が強まることも相俟って、次第に多角経営に走るところが多いということです。さらに言えば、ヘッジファンドが大型化して会社として成熟してくると、副官クラスが独立したくなるというのもまた人情の常でしょう。実際に、90年代にはヘッジファンドマネージャーの経歴というのは、大手投資銀行出身とか大手運用会社出身というのが多かったのですが、最近は、元ソロスの片腕とか、元シタデルの欧州イベントドリブン部門のヘッドといった人が立ち上げた第2世代のヘッジファンド、更には、元タイガーファンドのA氏が作ったAファンドで働いていたB氏が立ち上げたファンドといった第3世代にまで暖簾分けが進んでいることも多いです。そうすると、こういう有力な人材を続々と輩出した大型ファンドの中には、今やかつての名声とは裏腹にすっかり抜け殻のようになってしまったというところもあります。こうして、若くてニッチなヘッジファンドと安定志向の中堅・老舗ヘッジファンドという二極分化が次第に鮮明になってきているのです。 ヘッジファンドの成長に関するかようなトレンドは、投資家にとってどんなインプリケーションを持つのでしょうか。まず、既に有名になっている大型ヘッジファンドばかりを選んで投資すると、安心感を与えてくれる代わりに、各ファンド間の“色”の違いというのは少なくなっていくように思います。多くの大型ファンドが、イベントドリブン+株式ロングショート+CBアービトラージ+最近はエマージングマーケット少々、といった似たような構成になっているのではないでしょうか。こういうヘッジファンドは本当に気に入ったところを数社だけ厳選してポートフォリオに入れれば十分なはずです。さもないと、非常にネガティブなバイアスから見れば、金太郎飴という表現すら頭をよぎります。他方で、戦略特化型や地域特化型、そしてニッチな領域を開拓しているヘッジファンドを通じて今後も『ヘッジファンドらしさ』のメリットを享受していきたいという投資家の場合は、やはり従前よりもアーリーステージでの投資を余儀無くされるでしょう。アベイラブルな戦略の種類やマネージャーの数はどんどん増えていますので選択肢はほぼ無限大です。多様なポートフォリオの構築が可能ですが、その過程における手間や怖さも当然増えています。 (最終回に続きます)
by th4844
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