2006年 05月 17日

母の日

帰国中はいろいろとありがとう。先週末に引越しをしたので、まだ家中ダンボール箱だらけだし、電話も引けてないしで、かなりドタバタしてます。そんなわけで、遅れ馳せながらの母の日のメッセージです。
『いつまでも元気でね』っていうのは、なんだか年寄り扱いみたいで嫌かもしれないけど、でもそれが一番素直な願いでもあります。次にまた家族みんなが元気にそろって食事出来る日を楽しみにしています。




引越しのドタバタにかまけていて、不覚にも母の日があったことをすっかり忘れていました・・・。

親元を離れ、それなりに時間が経過し、そして自分自身が人の親になった今になってようやく気付くことですが、私は本当に勝手気ままな息子でした。たぶん反抗期が人よりもちょっと早く始まって早く終わったために、両親に対して深刻な衝突を起こすようなことは無かったと思います。その代わり、中学・高校・大学と実家から通っていたにも拘わらず、それこそ朝から晩まで週末も夏休みも正月も殆ど全ての時間を部活か友達と一緒に過ごすことに費やしていて、ほぼ全くと言っていいほど家に寄り付きませんでした。遅い時間に帰ってきたと思ったら、あっという間に食事を済ませてすぐに寝てしまっていたので、険悪でこそなかったものの、親子の間にまともなコミュニケーションが成立していませんでした。今、思えばただの居候です。進学や就職にしたって、報告こそしたものの相談などは一切しませんでした。しかも、節目節目で私の選んだ進路というのは両親が漠然と思い描いていた(或いは望んでいた?)ものとはだいぶ違うものだったはずですが、それについて碌な説明もしていません。勝手にすくすく育つという意味では気楽だったかもしれませんが、どこか知らないところで知らない人たちに囲まれてどんどん変化していく息子を遠目に見ているだけというのは、寂しい思いもしたはずです。

また、私が高校生の時には、母に随分と負担をかけました。毎朝5時に起きて弁当を作ってくれていたのですが、深夜に帰宅する父親の夕食も準備しなければならなかったので、あの頃の母は毎日3-4時間くらいの睡眠で遣り繰りしてくれていたはずで、あの頃のことを思うと本当に頭が上がりません。私の父はと言えば、働きながら夜間の高校や大学を出て、そうやって苦労した末にようやく“自分が好きなことをとことんやるための自分の会社”を立ち上げたような人なので、勉強し放題の恵まれた時代に生まれながらもなぜかスポーツばかりに傾倒していくという放蕩息子の姿を決して快くは思っていませんでしたが、どちらかというと母の方はそんな私のわがままを応援してくれていて、中学でも高校でも節目になる大きな試合には密かに応援に来てくれていたりしたのでした。

脇目もふらずに、自分のことしか考えずに、ただひたすら突っ走っていた学生時代の自分の横暴を反省し、そしてそんな自分を陰ながら支えてくれた母に感謝しよう。そう思って、いい歳の大人になってからようやく、年に一度の母の日には短いメッセージを贈るようにしていたんですが、今年はそれすらも忘れてしまいました。今さら思い出して上記のメッセージを送ったのですが、すっかり不義理を働いてしまいました。

さて、我が家にも新米の母親がいますが、なぜか英国の母の日は3月にあるので(米国は日本と同じ)、こちらは既に花束の贈呈が済んでいます。彼女の息子はまだ自分の意志で買い物をしたりメッセージをしたためることも出来ないので、あと数年は私が彼に成り代わってアレンジをしますが、近い将来、彼がまだ素直なうちにこの役割はきちんと引き継がせておきたいと思います。
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by th4844 | 2006-05-17 03:41 | Me, Family, Friends


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