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2006年 01月 09日

Allergy to Angro Saxon Capitalism (2)

前回は、抵抗も空しくマンネスマンの経営陣が最終的にはボーダフォンとの合併を受け入れた、そしてこの身売りによってマンネスマンの株主とアドバイザーが随分と潤った、というところまで振り返りました。

さて、世界最大の通信会社が誕生するとはいえ、ボーダフォンが手に入れたかったのはマンネスマンの売上の4分の1を占めていた通信事業だけでしたので、合併の受け入れを決めたマンネスマンは早々に機械・自動車部品部門をシーメンスとロバート・ボッシュに、鋼管事業をザルツギッダーにそれぞれ売却します。こうして高騰した自社株という新時代の通貨を武器にしたボーダフォンによる一気呵成の買収攻勢によって、ドイツ最大級のコングロマリットは実にあっけなく解体されてしまいまったのですが、このマンネスマンの突然死は労使協調や長期安定を重視してきたドイツの政財界にかなりの違和感や嫌悪感も惹き起こしたようです。ドイツ政府は早々に合併・買収に関する法規制の改正に乗り出し、外資系企業からの敵対的買収に対するかなり広範な防衛策を認めることになります。





そして、そうした民意や政治状況を忖度したのかどうかはわかりませんが、数ヵ月後にはドイツの司法当局が動きます。合併を決めたマンネスマンの経営陣が退任にあたって高額の退職金を受け取ったことに着目し、『株主及びその他ステークホルダーの利益を第一に考えるべき経営陣が、こうした金銭的動機に駆られて合併という非合理的な判断を下した疑いがある』として、エッサー氏らを背任容疑で起訴したのです。間もなく、退職金の支払いは主要株主の発案によるものであったということが明らかになると、経営陣に対する訴訟は取り下げられた(或いは棄却された?)ものの、今度はこうした“法外な金額”の退職金の支払いを安易に承認したのは監査役の怠慢であるとして、監査役が起訴されます。

『携帯電話世界最大手の英ボーダフォンによる独マンネスマン買収をめぐる背任・不正取引疑惑が独経済界を揺さぶっている。検察当局は、買収に反対した旧経営陣が不当に高い退職金で懐柔された疑いがあるとして捜査を開始。ドイツ銀行次期頭取や労組幹部ら退職金支給を認めた元監査役会メンバーにも捜査の手が伸びた。
検察当局は三月、買収成立の「報酬」として三千万マルク(約十七億円、一マルク=五六円)の退職金を受け取ったとされるマンネスマンのエッサー元社長に対して捜査を始めた。同社幹部らに支払われた退職金は一億五千万マルク(約八十四億円)に上る。(中略)検察は同氏が買収に同意した経緯と「報酬」との関係に注目。さらに巨額の退職金支給を承認した監査役会メンバーにも背任の疑いが浮上してきた。
捜査対象の元監査役にはドイツ銀のヨゼフ・アッカーマン取締役(次期頭取)や、世界最大の金属労組・独IGメタルのクラウス・ツヴィッケル委員長など、「ドイツ株式会社」の権限を代表する金融機関や労組の大物が名を連ねる。』(日本経済新聞)


その後、監査役はいずれも2004年に地裁で無罪判決となったものの、先月21日には検察側の控訴を受けて連邦裁判所が再審対象と成り得るという判断を下しており、2006年に入った今なお決着がついていません。

この連邦裁決定を受けて、露骨にpro-business、pro-capital marketなFTなどは、『前年対比で株価が176%増加し、1800億ユーロも企業価値が増大した。これを評価した大株主の方から退職金の支払いに関する提案があって、監査役はそれを承認しただけ。ドイツ以外の市場経済の国では、これは何の問題にもならない』『これでドイツのビジネス環境に関する評判は一段と傷ついた』『ドイツという国は株主価値よりも成功に対する不信や国粋的な保護主義の方が優先される国だという見方が改めて確認された』といった論調で激しく反発しています。

今回の連邦裁判所の決定では、『この退職金の支払いは会社にとって何のメリットもない』『いかなる場合であっても法外な報酬の支払いを認めてしまうと企業価値を損ねる』『高額報酬に歯止めをかけないとドイツ経済全体に悪影響がある』といったことがその理由に挙げられていたようです。米国や英国でも、エグゼグティブの高額報酬を巡る論争は頻繁に見かけます。例えば、ボーダフォンのジェント社長もマンネスマン買収成功の見返りとして破格のボーナスを受け取っていましたが、これに対しては英国の機関投資家から『買収自体は戦略的に重要だったとしても、金額は本当に妥当だったのか?買収後、ボーダフォンの株価がこんなに下がっていることをどう考えているのか』と噛み付かれていました。ただ、企業価値を破壊しておきながら(端的には株価を下げておきながら)自分の懐だけはしっかり暖めるというパターンには厳しいものの、企業価値を高めた優れた経営者に対しては相応の報酬で応えるというのが米国や英国でのコンセンサスとなっているようです。こうしたサクセスストーリーこそが、起業家・企業人のチャレンジ精神を鼓舞するという考え方です。

成果と報酬の最適化というのはドイツや日本に限らず、どこの世界でも非常に難しいテーマだと思いますが、そのあるべき均衡点というものを政治や司法が意図を持ってコントロールするべきなのか、そしてそれは実際に制御可能なのかという点については、私はやや懐疑的です。まして、仮にそうした政治や司法の介入が合理的な判断でなく、“アングロ=サクソン主導のグローバル化への嫌悪感”といった心理的なアレルギー反応にドライブされているとすれば尚更です。ドイツに『とにかく米英流は嫌だ』という人がまだ多数いるとすれば、こういう人達は例えば今ドイツのBASFが米国でEngelhardに仕掛けているTOBについては、どう考えているのでしょうか。また、ドイツよりもさらに極端なのがフランスで、フランスでは政府が認定した重要業種11セクターについては、フランス政府が敵対的買収を阻止することが可能になっています。昨年後半に、同国を代表する食品メーカーであるダノンへの買収に興味を示す声が上がった途端に、政府から公然とこれを阻止するといった声明が出たのは記憶に新しいところです。

最近は、日本のメディアにも弱肉強食や格差拡大といった生々しい言葉が随分と目立つようになりましたが、圧倒的に押し寄せるこの新時代の常識に戸惑っているのは日本だけではありません。ドイツなどの大陸欧州諸国を始め、世界の至るところで“米英主導のグローバル資本主義”対“地場の抵抗勢力”といった摩擦の構図が顕著になっています。言わずもがな、そこでは常に強い者や新しい者が正しいとは限りません。守勢に立つ側が守ろうとしているものの中には、本当に守るべき大切なモノや人や価値観もあるはずです。しかし、米国や英国といった資本主義の本家に加えて、最近は中国も世界を舞台とした無制限一本勝負の信奉者としての存在感を増しています。彼らは米国人と同じくらい、もしくはそれ以上におカネで動ける“経済合理的”な人種であるように思えますし、その個々のバイタリティ x 圧倒的な人口を考えると、当面の間はこの市場や経済のボーダーレス化の流れは強まることはあっても、止まることはなさそうです。抗うのが困難なほどに圧倒的な奔流が押し寄せてくるときには、『嫌だ』『出て行け』『正義はこっちにある』と叫んでいるよりも、現実を直視して新時代を生き抜くための準備をすることの方が遥かに大切であるように思えてなりません。
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by th4844 | 2006-01-09 07:05 | London, UK, Europe


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