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2006年 01月 07日

Allergy to Anglo Saxon Capitalism (1)

昨年、日本では年間を通じてライブドア、楽天、村上ファンド、そしてその背後に見え隠れした投資銀行や法律事務所までもが社会的な関心を惹いていましたね。ヒルズ族などという言葉も生まれ、“資本の論理”を振りかざして“マネーゲーム”のように人様の会社の株を“無断で買い占める”という“米国流”の遣り方が随分と物議も醸したようです。かたや、こうした新潮流を頑なに拒絶する“旧世代”の人々には一括りに“抵抗勢力”というレッテルが貼られ、その理路整然と反論出来ない感情むき出しの対応は晒し者にされるばかりでした。日本人同士のこととはいえ、この蜂の巣をつついたかのような騒ぎは、まるで黒船襲来といったところだったのではないでしょうか。

実は、かつて欧州でも似たような社会現象が見られました。今から6-7年ほど前、欧州ではTMTと呼ばれた電話(Telecommunications)、メディア(Media)、ハイテク(Technology)の3業種を中心にダイナミックなM&Aが繰り広げられ、そうした荒波に飲み込まれそうな勢力からは、欧州の古き良き伝統を破壊する米国型の“市場原理主義”や“拝金主義”に対するかなり強い拒絶反応が見られました。日本では“欧米”と一括りにされることも多いですし、事実、一般的に言えば欧州の企業文化は日本と米国の中間的なところに存在していますが、それは欧州がもともと米国に近いというよりは、欧州が日本よりも少しだけ先に米国との接触・衝突という化学反応を経験したことによって、現在の姿になってきたということではないでしょうか。欧州の経験していることを眺めてみると、極端な日本異質論というものが決して生産的で無いという思いが自然と強まってくるのですが、今回はそんな象徴的な事例の1つとして、1999年から2000年にかけてのボーダフォンによるドイツのマンネスマンへの買収攻勢を振り返ってみたいと思います。当時史上最大規模の敵対的買収案件だと喧伝されていましたので、ご記憶されていらっしゃる方も多いかもしれません。私の場合は、その頃はまだ東京に住んでいたこともあってきちんとフォローしていませんでしたので、今回は少し時間をかけて昔の新聞記事もひっくり返しておさらいしてみました。




2000年前後の欧州の通信業界はさながら戦国時代です。インターネットと携帯との融合が実現する次世代携帯電話の導入を2001年に控えて、携帯電話の利用が飛躍的に増えると見込んだ各国の通信キャリアが通信網の拡大に躍起になっていたのです。その次世代携帯のライセンス取得競争が過熱し、巨額のライセンス料の負担に堪えうる体力が必要ということもあって、国境を越えた再編が相次ぎます。現状維持という選択肢は無いに等しく、呑み込むか、さもなくば呑まれるかという様相を呈していました。

中でも英国のボーダフォンやフランスのビベンディ、ドイツのマンネスマンといった新興勢力がクロスボーダーの業務提携やM&Aに積極的でしたが、1999年にマンネスマンが英国3位のオレンジを買収すると、先にワン・ツー・ワンを買収していたドイツテレコムと合わせて、ドイツ勢2社で英国内の携帯加入者の3割を占めるという事態になりました。ボーダフォンにしてみれば大陸欧州での陣取り合戦に精を出しているうちに足許をすくわれた形となったのですが、同社がこの状況を打開すべく次に打った手が、マンネスマンそのものの買収でした。確かに、マンネスマンを丸ごと飲み込むことが出来れば、ボーダフォンは欧米で2001年から始まる次世代携帯電話の実用化に向け顧客基盤を盤石のものとすることが出来ます。まさに世紀の反撃です。

1999年11月14日、ボーダフォンはマンネスマンに株式交換による買収案を提示します。マンネスマンの経営陣が直ちにこの提案を拒否すると、同月19日にボーダフォンはTOBをローンチしました。2ヶ月余りの攻防の始まりです。TOBに当たってボーダフォンがマンネスマンの株主に提示した株式交換の条件は1,240億ユーロ(約十三兆五千億円)の買収金額に相当し、敵対的買収としては過去最大規模。成立すれば世界最大の通信会社が誕生することになり、株式時価総額でも欧州最大の企業に躍り出ます。


当時のマンネスマンは株式時価総額が国内第2位、総従業員数11万人を誇るドイツ産業界の巨人です。創業百年の歴史の中で鋼管、機械、携帯電話と絶えず業容を拡大しながら企業価値を高めてきた同社が、突如英国の新興企業からの買収攻勢に晒されるという事態は、ドイツ国内に大変な衝撃をもたらしたようです。マンネスマンのエッサー社長は、株主に対して『敵対的買収は企業価値を破壊し従業員の士気をそぐ』『現経営陣による独自路線の方が企業価値を高められる』とアピールし、当時のシュレーダー首相からも『ボーダフォンに買収されると企業文化が損なわれる』等と援護射撃が飛び出すなど、ドイツでは国を挙げての論争になりました。

その後は両陣営による懸命の株主工作が続きますが、TOB期間終了間際の1月下旬、ボーダフォンはフランスのビベンディとの業務提携を発表して世界を驚かせます。
『ビベンディと先に提携交渉していたのは、ほかでもないマンネスマンだった。欧州最大級のメディア企業であるビベンディと次世代携帯電話向けサービスの協力体制を作れば、マンネスマンの株主には強烈なアピールになる。万が一、株主がボーダフォンに傾いた時には、資金力のあるビベンディにホワイトナイトを要請する手もあった。しかし、ビベンディは土壇場でボーダフォンを選んだ。ボーダフォンがマンネスマンを買収すれば、欧州全域と米国で七千万人の加入者を得る。コンテンツ(情報内容)を供給するビベンディにとって、ボーダフォンの規模は抗しがたい魅力だった。』(日本経済新聞)
キャスティングボートを握ったビベンディが土壇場でボーダフォンとの提携に走ったことで、ほぼ外堀が埋まります。過半数の株主が買収提案に応じる公算も強まったため、徹底抗戦を叫び続けてきたマンネスマンの経営陣も、最後はダイムラークライスラーなどの国内の大株主に促される形で、少しでも有利な降伏条件の獲得へと方向転換します。ボーダフォンのジェント社長との交渉に臨んだエッサー社長は、株式交換条件を見直して友好的な合併の形を取ることを条件としてボーダフォンとの経営統合に合意、マンネスマンの監査役会(債権者である銀行や労働組合の代表等が参加して経営をチェックするドイツ独特の制度)もこの合意を受け入れました。

こうして2000年初頭に、携帯電話加入者5,000万人を誇る世界最大の通信会社が誕生しました。マンネスマンの株主に交付されたボーダフォン株の評価額は、ボーダフォン自身の株価上昇も相俟って、約1,800億ユーロ(当時約19兆円)に上った当初の買収予定金額が11兆円程度だったことを思えば、マンネスマンの株主には僅か2ヶ月のうちに物凄い付加価値がもたらされたことになります。経営陣や従業員、ドイツ国民の感情的なしこりはともかく、株主にとっては決して悪くない決着です。


そして、この大買収劇の背後で活躍した投資銀行の存在も随分と注目を集めました。
『買収戦の最終局面、ボーダフォンのアドバイザー・チームは株式交換の受諾を要請するため世界各地に飛び、三百社におよぶ機関投資家と面談を繰り返した。(中略)両者の合併合意を伝える記者会見にも加わり、各国のメディアに買収の意義を訴えた。史上最大の買収戦を勝利に導いた膨大な作業の見返りとして、アドバイザリーを務めたゴールドマンサックスとウォーバーグ・ディロンリードは約1,200億円の手数料を得たとされている』(日本経済新聞)。
また、買収を防げなかったとはいえ、買収金額の大幅引き上げによって株主価値の飛躍的な増大を実現させたマンネスマン側のアドバイザー、モルガンスタンレーへの評価も大いに高まったようです。


(次回に続きます)
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by th4844 | 2006-01-07 08:19 | London, UK, Europe


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