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Cutting Edge

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2005年 07月 30日

ヘッジファンドは世界を豊かにしているのか?

ヘッジファンドは世界を豊かにしているのか ― これは、いつも拝見させて頂いているdiwaseさんのハーバード留学記でkenさんが投げかけていらっしゃったアジェンダである。diwaseさんがおっしゃっている通り、世間でのヘッジファンドに対するイメージが、あまりにも実態から懸け離れたところで一人歩きしている気がするので、僭越ながら私もトラックバックさせて頂いた。kenさんを始め、中にはお気を悪くされる方もいらっしゃるかもしれないが、私はしばらくヘッジファンド関連の仕事をしているので、ややヘッジファンド擁護的な発言となることをお許し頂きたい。ヘッジファンドの良いところも悪いところもそれなりに見てきたつもりだし、いいヘッジファンドも悪いヘッジファンドも見てきたので、自分が“ヘッジファンド万能!万歳!最高!”というヘッジファンド狂ではないとは信じているが、彼らに対する誤解については、少しでも解いておきたいと思う。






ヘッジファンドは世の中を豊かにしているのか?

ありきたりではあるが、『本当にいろんな人がいる。でも、敢えて一般化すれば、世界中を幸福にしたいと願うような聖人君子ではないが、オレ達さえ儲かれば世の中どうなっても関係ないというような反社会的勢力でもない。普通のエリートビジネスマンかな。』というのが私の実感である。


そもそもヘッジファンドは何をしているのか?

一口にヘッジファンドといっても、本当にいろいろなものがある。株や債券・為替は勿論、不動産でも石油でも何でも買ったり売ったりするというグローバルマクロに始まって、株式ロングショート、株式アービトラージ、債券アービトラージ、CBアービトラージ、リスクアービトラージ、キャピタルストラクチャーアービトラージ、ディストレスト、CTA(マネージドフューチャー)、といった戦略が次々に流行した。ここ数年はクレジット市場の急成長に合わせて、バンクローンやストラクチャー物のロング・ショートやアービトラージも急増している。また、従来のスペースにおける収益機会の逓減に伴って、アクティビストやプライベート・エクィティの分野に触手を伸ばしているヘッジファンドが多いのも最近の傾向である。

このようにヘッジファンドの運用手法はどんどん多様化してきているので、彼らを “ヘッジファンド”という名の下に一括りにして論じるのは難しくなってきている。勿論、ジョージ・ソロスはヘッジファンドの代名詞ともいえる存在ではあったが、一方で、ほとんどミューチュアルファンドと変わらない人畜無害な小ファンドもたくさんあるし、最近は『これはヘッジファンドとは言わないだろう』と思えるような運用をする自称ヘッジファンドも多い(その方が売れやすいから)。彼らに共通していることが1つあるとすれば、それは、ルールの範囲内で収益を極大化することに全力を尽くしているということだけであろう。『ヘッジファンドはオフショアにあって規制の対象外だから、破格の収益を上げ続けることが出来る』といった、まことしやかな解説を目にすることもあるが、こういうことを言いふらす人たちは何もわかっていないのではないかと勘繰りたくなる。オフショアにあることと高収益の間にほとんど因果関係は無いと思う。昔のことはいざしらず、今どき、ファンドのビークルがオフショアにあることのメリットなんて、ファンドの運用収益に二重課税がされないことと、私募なので投資家の募集やレポーティングに手間やコストがかからないことくらいであろう。ヘッジファンド運用会社を経営する上では人件費や弁護士費用などが節約出来るというメリットはあるが、オフショアにあるからといって、ファンドの運用戦略そのものについて特別な手法が使える訳ではない。ファンドの所在地がケイマンであっても、個別の取引の執行は他の投資家と同じ取引所で同じルールに基づいて行われるのである。米国なら大量保有報告のガイドラインが日本よりも厳しいので、大型ヘッジファンドが大きなポジションを取っていれば、Bloombergでも簡単に調べられるくらいだし、ヘッジファンドは良くも悪くも一般社会へ急速に溶け込んできている。もはや秘密のベールなどそれほど残されていない。最近SECでヘッジファンドの『規制強化』が話し合われているという話も、ヘッジファンド運用会社のSECへの登録を義務付けるべきか、といったアドミニストレーティブなテーマが中心である(ちなみに在米の大手ヘッジファンドには既に自主的に登録を行っているところが多いし、英国では既にヘッジファンドのFSAへの登録が義務付けられている。diwaseさんが以前書いていらっしゃったが、まともなヘッジファンドであればコンプライアンスに対する意識は非常に高い)。

インサイダー取引でもやらない限り、基本的には、市場にfree lunch はないのである。ヘッジファンドの運用成績が他の投資家よりも優れているとしたら、その手法が極めて革新的であるか、或いはオーソドックスな手法を他の投資家よりも深いところまで掘り下げて実践出来ていると考えるべきである。しかも、ヘッジファンドの運用戦略で本当に理解不能な戦略というのは、一部のアービトラージ戦略を除いては滅多にお目にかからないので、実際にはdiwaseさんが言うようにdisciplineの部分で決定的な差がついていると言って良い。どこのヘッジファンドの会社案内資料でも、rigorousとかthoroughといった言葉が踊っているが、innovativeなんて言葉はあまり見かけない。尚、そうしたハイレベルな実践が出来るのは、それだけ優秀な人材を囲い込めているからかもしれないし、そのために破格のインセンティブを与えているからかもしれないが、それはヘッジファンドだけに与えられた特権ではなく、それが効果的だと思えば、他の業態・業界でも同じような待遇を用意して人を迎えればいいのである。

また、ヘッジファンドが儲かっているからと言って、それが個人投資家に代表されるような多数の無垢な投資家の損失の上に成り立っているという見方も極端な感じがする。例えば、CBや一部のストラクチャー物のように、既に市場の取引の半分以上がヘッジファンドに支配されているマーケットもある。そこでは、ヘッジファンド同士で激しい攻防を繰り広げているような図式になる訳だが、では、そういった市場は“ギャングの抗争”に巻き込まれた悲惨なムラなのか?否。例えば、米国のCB市場には欧州や日本に比べて非常に格付けの低い企業のCBが大量に流通しているが、もしもヘッジファンドがこうしたCBを引き受けなければ、そのマーケットは存在していないのである(数年前にブームがあって、日本の光通信などもHBKに凄まじい条件が付与されたMSCBを買ってもらっていて話題になった)。ヘッジファンドに足許を見られていたと言えばそれまでだが、それでもいいから資金調達をして企業を存続させようという判断を下したのは発行体の経営者である。


ヘッジファンドはひどい奴らなのか?

ルールで禁止されていないからといって、世の中にはタブーというものもあるかもしれない。例えば、ヘッジファンドでよく槍玉に挙げられるのが『空売り』だ。しかし、これとてカネの成る木でも何でもない。まず第一に、空売りはヘッジファンドでなくとも実践可能な基本的な運用手法である。第二に、当然ながら空売りはリスクを伴うのである。ヘッジファンドが空売りで儲けたとして、なぜ儲けられるのかと言えば、それまでの価格が割高だったからである。株価や為替レートがその割高な水準まで値上がりしていく過程で、他の誰かが儲けているはずなのだが、それを儲けすぎだと批判する人はいないであろう。仮に空売りを始める水準がまだ“割高”でなかったとしたら、あるヘッジファンドが空売りをしかけたとしても、残りの市場参加者(含む他のヘッジファンド)がもっと買い支えればいいのである。実際、そういった形で、空売りで踏み上げを食らって大きな損失を出すヘッジファンドは多いのである(悲しいことに、最近は『ロングはそれなりに良かったのですが、ショートの方でだいぶやられたようです』というのが、私が東京に電話する時の常套句になりつつある)。

ヘッジファンドやハゲタカファンドと呼ばれる人達は血も涙もないひどい集団なのか、と問われれば、確かにそう言われても仕方がないケースもある。なぜ彼らがそうまでして収益にこだわるかといえば、投資家が彼らにそれだけを期待しているからである。ヘッジファンドに対する投資家の期待は非常にシビアで、『株や債券との相関を抑えて、どんな市況でも年率20%のリターンを出して、しかも月次で解約出来るようにしてほしい』など、数年前までならいざしらず、もはや理不尽ですらある。ずっとパフォーマンスが好調でも、ひとたびスランプに陥ると、すぐに減額・解約してさっさと他のファンドへ資金を移してしまう投資家も少なくないのだが、こうした流れは、いわゆる資産運用の機関化現象とも関係がある。例えば、ヘッジファンドに投資しているファンド・オブ・ファンズは、その顧客である生保からのプレッシャーに晒されており、その生保も運用利回りが低下すると経営基盤が揺らぎかねないのである。皮肉な言い方をすれば、老後は安心してくらしたいという庶民のささやかな願望から始まる“欲望の連鎖”の行きつく先が、ヘッジファンドやプライベートエクィティのような純投資に特化したスキームとも言える。

このように、ヘッジファンドは他の投資家とほぼ同じルールの下で運用しているし、他の投資家と比べて著しく異なる奇策を弄する訳でもない。違うのは、金儲けに対する執着度だけであろう。これはヘッジファンドがえげつないのか、それとも他の運用者/経営者が甘いだけなのか。金儲けが醜いことだと言うのであれば、ヘッジファンドやプライベートエクィティは真っ先にその批判の対象とされても仕方あるまい。ただ、『一定のルールを逸脱しなければ自由に活動していいよ、ということにして、そこで解き放たれるエネルギーを上手に活用して社会をダイナミックに発展させていこう』というのが資本主義なり市場原理といった考え方だとすれば、企業や国家が市場から資金を調達するということは、資本市場に集まってくる『金儲けをしたい』というエネルギーの力を借りることに他ならない。その凄まじいエネルギーが諸刃の剣であることは自明の理であって、『いいとこ取り』をしようとするのは、ちょっと虫が良すぎる。会ったこともない奴らに会社経営を邪魔されたくなければ上場しなければいい。おそろしい資本市場の悪魔どもに自国通貨を投機の対象にされたくないのであれば、自国市場と外部市場を完全に遮断する方法もある。

ヘッジファンド業界に、頭が切れてコミュニケーションスキルの高い優秀な人材が集まっているのは事実だろう。ただ、彼らのモチベーションが他の世界の人に比べて著しく歪んでいるかといえば、決してそんなことはないと思う。そもそも、彼らだって殆どは元々“堅気”の会社で働いていた人達である。投資銀行のプロップデスクがスピンオフしたとか、投信の運用者がロングだけじゃなくてショートもやりたいから独立したとか、ヘッジファンドの始まりなんてそんなところである。ビジネスのオポチュニティに貪欲なパワーエリートというのはどこの業界にでもいるはずなのだが、下請けや卸を苛め抜いている大企業が『業績回復!』などと新聞で礼賛される一方で、ヘッジファンドだけが悪者にされてしまうのは、やはり理不尽であろう。

安易な記事を書くメディアの方はちゃんとヘッジファンドのマネージャーに会って話を聞いているのだろうか?彼らは、“ヘッジファンド”と彼らの信ずる“普通の投資家”(或いは“善玉投資家”?)は一体どう違うと考えているのか?普通の投資家だった人がヘッジファンドを始めた場合は『悪魔に魂を売った』ということになるのだろうか。どうしてウォーレン・バフェットは投資の神様でヘッジファンドはカネの亡者なのか?ウォーレンバフェットはヘッジファンドのインキュベーションをかなり積極的にやっているのだが。バフェットの投資理論を忠実に踏襲しているヘッジファンドは善悪どちらのカテゴリーに入るのだろうか。準公共機関ともいえる証券取引所を苛めて稼いだお金をアフリカの子供達の支援に充当しているヘッジファンドは、世の中を混乱させているだけなのか、それとも豊かにしているのか。殆ど同じポジションを取っているにも拘わらず、どうしてヘッジファンドやハゲタカファンドと呼ばれるファンドと、再生ファンドと呼ばれるものがあるのか?マスコミが勝手に良い投資家と悪い投資家といったレッテルを貼るのは違和感を禁じ得ないし、そもそも、よくわからないものを悪玉論や陰謀論で片付けるのは、決して生産的ではない。

メディアにおける最近のヘッジファンドやプライベートエクィティに対する批判は行き過ぎだと思うし、しかもあまりにも底が浅いと言わざるを得ない。勿論、他の業界と同様にヘッジファンドの世界にもいろいろと問題はある。だからこそ、もっときちんと勉強して、本質的で実のある問題提起をしてもらいたい。これは洋の東西を問わずに感じる。

by th4844 | 2005-07-30 06:41 | Hedge Fund


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