2005年 07月 27日

サッチャーがもたらしたもの

さすがにそろそろ調整局面入りしそうではあるものの、何度か書いている通り、ここロンドンは10年以上も好景気に湧いていて本当に活気がある。ここまでは不況知らず、インフレ知らず、デフレ知らず、失業知らずでやってきた。1997年以降政権を担当しているブレア政権(のブラウン蔵相)の巧みな経済運営も然ることながら、こうした活力をもたらしたのは、やはり20年前のサッチャー改革の功績が大きい、というのがほぼコンセンサスと言っていいであろう。では、サッチャーは一体どんな改革をしたのであろうか。彼女の一連の政策パッケージの中には功罪相半ばといった内容のものもあったが、個別の政策論はさておき、それらの根底にあった『働かざるもの食うべからず』というメッセージは、依存症ともいうべき状態にあった国民に対して強烈に“喝”を入れた。サッチャー登場以後に英国民が経験したこの意識転換こそ、彼女の残した最大の功績に違いない。





Anarchy in The UK

エジプト、ギリシア、イタリア、モンゴル、ポルトガル、スペイン、オランダ・・・。栄枯盛衰の文明論でいえば、英国も そうした“かつての大国”、やや過激な表現をすれば“もう終わった国”に列せられてもよかったはずである。七つの海を支配し、世界の工場として君臨した輸出大国も、第二次大戦を境にその覇権を米国に譲り、特にその経済的地位は凋落の一途を辿っていた。そのどん底ともいえるのが1970年代で、“British Disease(英国病)”などと形容される高失業・高インフレのスタグフレーションに喘いでいた。電力不足から商店が週3日営業を強いられたり、莫大な経常赤字をファイナンスするためにIMFの緊急融資を仰いだりといった惨状であったらしく、“Winter of Discontent(不満の冬)”と呼ばれた1979年には、国中の至るところでストが蔓延して大混乱となり、深刻な社会不安を引き起こしていたという。あのSex PistolsのAnarchy in The UKが生まれたのもこの時代だが、やはり、こうした音楽もただの洒落やファッションではなくリアリティのあるものであったのだろう。

サッチャー改革

マーガレット・サッチャーは、1979年に首相に就任してから1990年まで10年以上の間その座にあったのだが、それ以前の教育相時代から財政再建の必要性に迫られて公立学校での牛乳の無償配給をやめて主婦層の反発を招いたり、ソ連を挑発し続けたりと、話題にはことかかない人物であったようである。さて、首相就任当初から国家財政がほぼ破綻している状態であったことから、彼女の経済政策は必然的にサプライサイドに重きを置いたものとなった。すなわち、金融政策は厳しい引き締めに転じ、財政政策は持続不能となった福祉政策の見直しによって支出に歯止めをかけ、競争原理の導入によって経済全般の活性化を図る、といった内容になのだが、一言でいえば、彼女の政治は既得権益を死守せんとする抵抗勢力との戦いの日々であったと言っても過言ではない。『労働者はぐだぐだ言う前にちゃんと働け!』『企業はきちんと経営努力せよ!』ということであった。前者に対しては、クローズドショップ制(労組への加入をほぼ義務付ける制度)の廃止や労働争議の事前届出制や失業保険給付基準の見直しなどで法制面から締め上げを行いつつ、さらには労組の権力基盤となっていた地方自治体を弱体化させるべく、中央集権を強力に推進した(地方自治体の主要財源であった固定資産税を廃止した他、日本でいえば東京都に当たる大ロンドン市の解体などの大鉈を振るったりもした)。他方、後者に対しては、カルテルの温床となった業界団体の弱体化を図るとともに、他業態や外資による参入を通じた自由競争を促した。こうした産業政策の典型例となったのが、国営企業(航空、通信、自動車、電気、ガス、自動車等)の民営化であり、金融市場におけるビッグバンである。

改革の果実

よく指摘されるように、サッチャー政権と、その一年後に米国で誕生したレーガン政権(81年~88年)には共通点が多く、両者ともに経済面では小さな政府を標榜してサプライサイドの構造改革によってスタグフレーションに対峙し、外交面では共産圏に対する対決姿勢を鮮明にするなど、頑固なイデオロギー至上主義的な性格を共有していた。実際、両者の結びつきも極めて強固で、昨年のレーガンの国葬の際も、体調が優れないサッチャーは葬儀には参列出来なかったものの、ビデオレターで弔辞を送ったりして話題をさらっていた(ちなみにこの時代には、日本でもYasuこと大勲位中曽根総理(82年~87年)が国鉄民営化・行政改革・西側諸国の連携強化という、サッチャー・レーガン両政権と同様のメニューをこなしていた)。また、引退後の評価が定まるのにやや時間を要した点も共通している。二人に対して『金融をはじめとするサービス産業を中心に据えた新しい英国、新しい米国(或いはニューエコノミー)の誕生を導いた改革者』という好意的な評価が確立されたのは、90年代も半ばに入ってからのことであろう。その後、規制緩和や減税によって魅力が増した英米両国は、いわゆるグローバル企業体に自由な活動の場を提供することとなり、巨大資本の集積が始まる。すると、そこでの就業機会を求めて各国から優秀な人材が集まって来るようになり、企業収益の一層の改善を通じて、税収の増加と周辺分野での雇用増がもたらされる。経済規模の拡大の当然の帰結として、サービス業への需要が高まり、いっそうそうした産業が事業機会を得ていく。こうした好循環を経て、果たして英国は『能力とやる気のある人/企業に快適な “場”を提供することで、その場所代で国民が食べていく』という社会へと変化を遂げたのである。

英米両国の経済が新しい産業構造/社会構造を伴って劇的な復活を遂げたのは紛れも無い事実であるが、そうした変革は決して周到に準備された国家の大計によってもたらされたものではない。むしろ、国が豊かになるのに従って、労働市場が次第に硬直化し、その結果として基幹産業である鉱工業が競争力を失っていく中で、やむ無くサービス業主体の経済への転換に活路を見出したというのが実情であろう。ただ、きっかけはどうあれ、結果として労働集約的な産業から知的資本をベースとする産業へのシフトを遂げたのである。新産業の振興においては市場原理を尊重した規制緩和等が採用されたため、従来の鉱工業主体の経済に比べて経営の自由度が高くなり、景気の拡大は容易に雇用増をもたらした。尚、今日の大陸欧州(特に独仏両国)はこれとは対照的な状況にある。すなわち、行き過ぎた雇用政策(法令や労組の反対によって、賃金引下げや人員整理が極めて困難)のために、多少の労働力が不足しても企業はコストの嵩む正社員の採用にはなかなか踏み切れずに安価な労働力を海外に求めるがちになるため、結果として、こうした労働者保護が却って国内の失業率の高止まりを招いているのである。特に若年層の就業率の低下が深刻である(若者に相応の学歴やスキル、就業意欲があっても企業は採用を敬遠しているようなので、日本における所謂ニート問題とはやや趣が異なるかもしれない)。

サッチャーの改革が成功した理由

さて、サッチャーがこうした強力な改革を遂行出来た理由は何であったのか。まず、利害関係を重視するウェットなタイプの政治家が旧来型の経済政策の失敗から軒並み失脚する一方で、野党労働党が内部分裂するなど、これといった強力な政敵が存在しなかったことが挙げられよう。次に、『iron lady』のイメージとは裏腹に、サッチャーが極めて慎重に時間をかけて改革に着手したことも奏功したと言われている。改革断行というマニフェストを掲げて政権の座に就いたとはいえ、実は79年からの政権一期目は金融引き締めによるインフレ沈静化やフォークランド紛争における勝利等で世論の支持を集めることにほぼ専心していた。そして83年の総選挙の大勝で政権の足場が固まったことを確認してから、今度は一気呵成に各方面で改革プログラムを実施していったのである。そして考えられる理由の3つ目が、これが最大の要因だと思うが、やはり暗黒の70年代を通じて、英国がもはや改革を避けて通れない“崖っぷち”まで追い詰められていたことではないだろうか。月並みな議論ではあるが、やはり国民の覚悟なくして、改革の断行は望めなかったであろう。


このように、英国が経験してきた『製造業主体からサービス業主体への産業構造の転換』『高齢化と経済成長の鈍化に伴う福祉制度の再設計』『資本市場並びに労働市場の開放・弾力化』といった様々な苦悩について考えてみることは、日本が今まさに直面している更年期障害ともいえるイシューを論じる上で、非常に有意義であると思われる。
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by th4844 | 2005-07-27 06:45 | London, UK, Europe


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