2005年 07月 21日

私にとってのロンドン ~ 2001年編

“私にとってのロンドン”シリーズの第3話。

お世話になった銀行を退職して今の勤務先の日本法人に転職してきて早々、某日系大手証券からやって来た上司と一緒に、挨拶がてらロンドン本社に出張することになった。2001年の1月だった。





初めて乗ったアッパークラスに気分が高まり、スチュワーデスのお姉さんにさっそくシャンパンなんぞ頼んでみる。国際派のビジネスマンよろしく鞄からおもむろに英語の分厚い書類を取り出して、ざっと目を通してみる......が、ファンドの目論見書を見ていたのだが、何が書いてあるのかよくわからず、じきに眠くなってくる。そういえば、今朝は明け方まで会社で出張準備に追われてたんだったな・・・。不可抗力のため、あっという間に寝てしまっていた。

ロンドンでは、新設した東京オフィスの実働部隊2名が遠路はるばるやって来たということで、かなり歓迎してもらえた。こちらも、同行した上司のユニークな(?)計らいで、ロンドンのスタッフへの手土産ということでユニクロのフリースを10着以上も持参していたのだが、『これが旬の日本企業のイノベーションの結晶だ!』という上司の触れ込みが効いたかどうかは判らないが、予想以上に喜ばれて1人で2着も持って帰る人までいた。ただし、数日後に連れて行ってもらった在英の日本株ロング・ショートのマネージャーとのミーティングでは、先方の投資責任者から『ショートの候補として最近注目してる銘柄は、ファーストリテイリングです。出店ペースが速すぎるし、調子に乗ってロンドンにまで店を構えてるんですよ。所詮はGAPのビジネスモデルの焼き直しだし、そんなに儲かるはずがありませんよねえ』といった発言が飛び出し、当方から同行していたアナリストの苦笑を買っていたが・・・。

さて、ロンドンでは、まず東京での今後のビジネスプランを詰めるためのディスカッションに時間を割いたのだが、これは9割方上司の管轄だったので、殆どの場合、私はわかったような顔をしながら横でメモを取っているだけで済んだ。私のメインの任務はお勉強で、会社の業容・業暦・業績から各部門の業務内容/プロセスの把握、あるいはモーゲージ・アービトラージ戦略の要諦は何か?とか、ファンド・オブ・ファンズのポートフォリオにはどんなストレステストが有効か?といった基礎知識の詰め込みだった。要するに、ロンドンのスタッフを片っ端から捕まえては質問攻めにしていただけなのだが・・・。あの頃の私の英語は相当ひどかったに違いないが、それでも当初心配していたよりはコミュニケーションがスムーズに運び、ロンドンで仕事をするのにあまり支障がないように感じられたため、上司が予定通りに1週間で帰国した後も、私は滞在を延長して2つの作業をロンドンで続けることになった。

作業の1つ目は、日本の機関投資家の独特のディマンドを満たすようなテーラーメイドの商品の組成をすることだった。東京に戻った上司と毎朝毎晩連絡を取りながら商品企画からマネージャーセレクション、ポートフォリオ構築、タームシートの作成までロンドンでの全ての作業工程にどっぷり関与することによって業務を手っ取り早く覚えてしまおうという算段だった。作業が完了し次第、その資料をもって帰国し、直ちに銀行・生保回りをするということになった。こういうことは、将来レジュメには『プロジェクトマネージャーとして新商品開発に携わった』とでも書くのだろうか。多少の紆余曲折もあったが、一応それらしいものが出来上がって、東京からもOKが出た。

もう1つの作業は、この出張の仕上げとして、20~30頁程度の会社案内資料を作成することだった。勿論、それまでも一応そういう資料はあったのだが、東京で大手の機関投資家に持って回れるような詳しくてしかも判りやすいというようなシロモノには思えなかったので、自分で作るしかなかったのだ。いわばミニ卒業制作のような作業になったわけだが、一生懸命作ったところ、これが意外に好評で、後日CEOから東京の上司に電話があり『あの資料は良く出来てる。短期間であれだけ吸収出来たのは立派だ。あとは営業を全力で頑張ってくれ』というお褒めのお言葉があったと聞かされた。もっとも、これは自分の仕事のクォリティが高かったというよりも、どこの馬の骨かもわからないような(完全な門外漢でしかも英語でのコミュニケーションもぎこちない)私に対するそもそもの期待値が限りなくゼロに近かったので、『思ったよりもやるじゃないか』というサプライズだったのだろう。

結局、この時はロンドンに3週間滞在したのだが、帰国前の最後の週末には、学生時代によく友達とぶらぶらしていた思い出の地を歩いてみる時間も出来た。ホルボーンあたりからコベントガーデン、レスタースクウェアを抜けてピカデリーサーカスへ、或いはグリーンパークから南下してウェストミンスターからテムズ南岸をずーっとタワーブリッジまで(結構長い)。あの1997年の暮れから3年ちょっと経過して、思わぬ形ではあるが、再びロンドンに軸足を置くことになった巡り合わせを思うと、我ながらドラマチックな展開に感動を覚えた。

東京に戻ってから1ヵ月ほど上司と一緒に機関投資家向けの飛び込み営業を続けた結果、いくつか東京で大きなプレゼンをするところまで漕ぎ着けたため、その準備のために今度は1人でまた1週間ロンドンに飛んだ。この2回目のロンドン“合宿”を経た頃から、ヘッジファンド/ファンド・オブ・ファンズ業界の土地勘もはっきりしてきて、セールストークもぐっと楽になった。私にとって幸いだったのは、当時の日本ではヘッジファンド投資がまだまだ新しい分野だったので、私も素人だったが、一部の先進的な投資家を除いて大抵の場合は日本の機関投資家もこの分野の経験が浅かった。しかも、我々の方が業界の川上に位置しているのだから、顧客の倍の時間働けば、たったの数ヶ月でも随分と情報較差をつけることが出来たのである。それから、会社が小さかったため、私をのんびり育てている余裕がなかったのも事実であろう。多少の失敗があってもいいから、どんどん経験を踏んでさっさと一人前になってくれよという雰囲気は非常に励みになった。
[PR]

by th4844 | 2005-07-21 03:27 | London, UK, Europe


<< サッチャーがもたらしたもの      私にとってのロンドン ~ 19... >>