2005年 07月 19日
初めてロンドンにやって来たのは、大学卒業を半年後に控えた1997年の秋だった。中学から大学までの10年間、常にスポーツで全国レベルで勝負することを目指していた私は(力が及ばない時期もあったが、とにかく意識だけは高かった)、残りの人生については、『今度は金融の分野で世界を目指す』という、なんとも漠然とした夢を抱き始めていた。とはいえ、日本生まれの日本育ちで、大学四年間もグランドでの練習に明け暮れていて海外旅行はそれまでゼロ。最後の早慶戦を戦い終え、浴びるように酒を飲んだ後、残された6ヶ月間の学生生活、いや最初で最後の一般学生(*当時パンピーなどと呼んでいた)生活を何をして過ごそうかと考えた時に、『とりあえず海外デビューを』ということでロンドンの語学学校への4週間の短期留学を決めたのだった。 なぜアメリカではなく英国に来たのか、今ではもうあまりはっきりとは覚えていないが、たいした理由はなかったように思う。ただ、金融不安に揺れる不景気ニッポンから来た一介の学生にとって、実際に触れてみたロンドンはとにかく輝いて見えた。世界中からヒトとカネを惹きつけているロンドンという街のパワーに驚いた。とにかく、様々な地域から集まってくる移民が生み出す凄まじいエネルギーが街中に満ち溢れているように感じられた(このダイナミズムは、今でも全く変わっていないと感じる。) 97年当時のイギリスといえば、トニー・ブレア、ポール・スミス、ユアン・マクレガー、ジャミロクワイ(オアシスやブラー、スパイスガールズでもいいが・・・)といった各界の新しい顔が世界の注目を集めていた(8年経った今は、皆すっかり色褪せてしまったが)。経済面でも、鉄の女サッチャーが80年代前半に遂行した規制緩和・外資導入の諸策が実を結んで、各国から資本と労働力、それも質の高い資本と質の高い労働力が集積されてきて、未曾有の好景気に湧いていた。地方都市のことはわからなかったが、少なくとも、当時のロンドンにおいては、かつて英国病と呼ばれた低成長・高失業・高インフレの泥沼時代の面影はなかった。それは全く新しいイギリスだった。自分が通った語学学校でも、大陸欧州は勿論、南米から旧共産圏、中東などからやってきた20代の若者が、口を揃えて『ずっとロンドンで生活してみたかったんだ』『もう少し英語を磨いてから、ここで仕事を探す』と目を輝かせていた。シティに足を伸ばせば、やはり実に様々な色の肌のエリートバンカー(と思しき人)達がパリッとしたスーツを着て街路を颯爽と行き交っている。無知だった私は、それまで『イギリスにいるのはイギリス人だけだ』と思い込んでいたが、ロンドンはもはやそういう世界ではなく、コスモポリタンな雰囲気満点だった。日本を発つ前に抱いていたバッキンガム宮殿の衛兵・紅茶・ビッグベンといったイメージのイギリスにはあまり興味は無かったが、私はこの新しいロンドンの虜になった。その空気を毎日吸っているうちに、『遅かれ早かれ、東京も閉塞状況を打破するためには、“開国”するしかないだろう』と確信した。 そして、『いつか、こういう刺激的な場所で働きたい!』という気持ちが一気に昂ぶり、そのためには英語を何とかしなきゃいかん、ということで、滞在中は語学学校の内外で積極的にインプットもアウトプットもそれなりに頑張った。夜は外で遊んでいたが、夜中は一生懸命勉強していたので、『やっぱり日本人は働きすぎだ』とホームステイ先の家族に呆れられたものである。全日中やインターハイ、インカレで活躍したいという思いを胸に黙々と厳しいトレーニングに励んだあの高揚感と全く同じだった。こういう気持ち、こういう勢いは本当に大切にしたいと思った。それまで全く勉強していなかったため、自分の英語力の無さは自覚していたが、それがなかなか向上しないことに対して本当に焦りを感じた。来る前には、『1ヶ月も“留学”するんだから、帰国する頃にはそれなりのレベルに達しているだろう』と信じて疑わなかったのだが、『語学習得にはやはり時間がかかる』という現実を思い知らされた。ちょうどロンドンに着いた翌週に山一證券が廃業となり、あの野沢社長の号泣会見の様子がFTの一面を飾っていたのだが、あまり手を広げても無謀だということもあって、その日の紙面を1ヶ月間毎日何度も何度も読み返したりもした。 頑張っていたとはいえ、もちろん大学卒業間近の短期の語学留学なんて、楽しいことしかない。10年間のストイックな選手生活の反動と、『4月からは社会人だ』という意識も相俟って、『今しか遊べない!』という刹那的な思いで必死で羽目を外したりしたものだ。日本人同士でも、東京に居たら決して知り合うことはなかったであろう人たちと友達になれて新鮮だった。特に、日本人の女の子達の逞しさはとにかく脱帽もので、いろいろと感心させられることも多かった。今思い返してみても、大袈裟な言い方をすれば、彼女達の生き様は立派に世界に通用していたと思う。 そんなわけで、初めてのロンドンでは、勉強を頑張ったり、見聞を広めたりと、なかなか濃密な時間を過ごすことが出来た。外国人や外国暮らしに憧れるという気持ちは毛頭なかったが、ロンドンのような街が、日本という国や自分という人間の進むべき方向について何らかの示唆を与えてくれるとすれば、若いうちはそういう近未来的な空間で成長していきたい、という思いでいっぱいだった。
by th4844
| 2005-07-19 02:59
| London, UK, Europe
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